宿曜とは

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この世に生を受けたもの全ては、月の満ち欠けに支配されていると、「宿曜占星術」では考えられています。
現在では「月の占星術」とも呼ばれ、生年月日を「太陰歴」に照らし合わせることで、人が生まれ持った「宿命」を知る術とされています。
宿曜は27種類の「宿」と呼ばれるものから、「自分の潜在的な個性」、「日々の吉凶」、「対人関係」に高い的中率を誇り、占いではなく統計学的な要素を含む術になります。

「起源・伝来」

宿曜はもともと「宿曜経」と呼ばれ、インドに仏教を学びに行った「不空三蔵」という僧侶(三蔵法師)が、中国に持ち帰った経典を弟子にまとめさせた書物です。
本来は「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶日善悪宿曜経」とされていた名前を、余りにも長かったため最後の3文字をとり、「宿曜経」と呼ばれるようになりました。

日本への伝来は西暦806年頃に第16次遣唐使として中国に派遣された、弘法大使「空海」が、七曜(曜日の概念)などと一緒に持ち帰ったとされています。
その後に空海は日常生活や行いに、宿曜術を積極敵に取り入れ、弟子たちに伝承してきました。
その教えは現代でも、真言宗の僧侶によって伝えられています。

「戦国時代での実例」

日々の吉凶」、「対人関係」に高い的中率を誇る宿曜占星術は、戦国時代の名将たちに重用されてきました。
特に武田信玄の山本勘介、徳川家康の天海上人は宿曜を用いた軍師をして史実にも残る事実とされています。
徳川家康が天下を統一するにあたり、全国の大名の宿を調べ、武将の配置、決戦の日時決定に術を活用し、数々の戦で勝利を挙げてきています

しかし、さまざまな場面で活用されてきた宿曜術は、そのあまりの的中率から徳川幕府は悪用を恐れ、公の場から封印されてしまいました。

そのミステリアスな魅力に満ちた、「宿曜占星術」が現代社会での活用に、再び注目を集めてきています

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